“未来が見えるまで、相当時間がかかったことで…”
爆笑問題・太田光の妻であり、芸能事務所『タイタン』の代表取締役社長の太田光代さん。
若い頃はモデル活動をしていたことでも知られてる彼女ですが、どうやら幼少期はとても貧しかったらしく、学歴についても自慢できるほどではありませんでした。
そんな彼女がどうやって人気芸人を抱える芸能事務所社長までなれたのでしょうか?
今回はそんな太田光代の若い頃からタイタンの社長までの道のりについてまとめました。
若い頃は壮絶だった?
太田光代さんの若い頃は壮絶な環境だったようです。
どうやらそれが原因で”斜視”になったようです。
面白いじゃない。目がロンドンパリの方向。作ろうとしても、難しいわよ。斜視って(⌒▽⌒)
— 太田光代 (@ota324) May 30, 2015
光代さんは離れ目であるだけでなく、黒目が外側に向きやすい”外斜視”ではないかといわれているようです。
原因は明らかにされていませんが、どうやら若い頃のストレスが…と言われているようです。
光代さんはといえば、母子家庭生活や股関節脱臼の障害による入院生活など、幼少期からさまざまなストレスを抱えていたようです。
太田光代は母親と仲が悪い!
太田光代さんは母子家庭といえど母親との仲が悪かったようです。
母親が39歳の時に光代さんは生まれました。当時は未婚だったようで、苦しい生活の中、女でひとつで光代さんを育てたのでしょう。
何が原因で不仲になったかはわかりませんが、若い頃から母親との苦い思い出や確執が目立ち、親子の距離が縮まらない毎日だったようです。
そんな光代さんは、17歳のときに家出を決意し、一人暮らしを始めることとなりました。
相当我慢できなかったみたいですね!
高校卒業後はモデル活動をしていた
太田光代さんは高校卒業後にモデル活動をスタートします。
現在の光代さんもスリムで魅力的な身体をしていますが、若い頃はより細さが際立ち、当時は街を歩けば何度もスカウトされていたのだといいます。
イベントではキャンペーンガールを担当するなど、スタイルを活かした仕事をこなしつつ女優業も目指していたそうです。
太田光との出会い
太田光代さんは、当時スカウトされていた事務所・太田プロダクションに所属し、本格的に芸能活動を始めます。
そしてそこで出会ったのが太田光さんでした。
ふたりは、1989年に交際をはじめ、その後同棲。そして26歳の頃結婚となりました。
このまま順風満帆に行くのかと思いきや、しかし夫が太田プロダクションを退社。そのため貧乏な生活を送ることになってしまいました。
当時、光代さんは毎日アルバイトやパチンコで生計を立てていたようです。
『タイタン』の立ち上げ
その後、太田光代も独立し現在の爆笑問題も所属している『タイタン』を立ち上げました。
当初はまだ無名に近かった爆笑問題をどうにか世に知らせるために、熱心に営業活動をしてたそうです。
夫のために汗水流して頑張っていたんですね。さすが太田光代だと思いました。
そしてこの妻の頑張りのおかげで、爆笑問題は1993年に『ボキャブラ天国』でブレイクし、事務所にも明るい未来が見えてきました。
この未来が見えるまで、相当時間がかかったことでしょう・・・。
立ち上げから成功までと、ここまで出来た理由は夫・太田光を愛する太田光代の愛情があったからかもしれませんね。
現在の太田光代は、芸能事務所の社長でもありながら、フラワーショップやハーブ店を経営するほどの有力な実業家として活動しております。
太田光代の若い頃から事務所社長まで
太田光代さんの若い頃は壮絶でした。
今は芸能事務所の社長として世に知られている彼女ですが、もともと身体が弱かったこともあり、周りからいじめにあっていたそうですね。また、今の彼女からは想像も付かないほど、貧しい生活を送ってたいたとか…ですが、「夫を売れっ子にしたい!」「夫の為に頑張る!」と、夫への愛情があったからこそ現在の成功に辿り付けました。
彼女のこれからの活躍にもっともっと期待ができそうですね。
今回も最後までご覧いただき有難うございました。