山本太郎いつから政治

山本太郎はいつから政治家になった?そのきっかけや経緯

“政治家として活躍する中で「首相を目指す」と…”

現在、政治家として大きな活躍を見せている山本太郎さんですが、いったいいつから政治に参入したのでしょうか?

以前は俳優として人気を博し、期待の波に乗っていたといいます。自分の職を捨て、人生をかけてまで飛び込んだ政界にはどのような想いがあったのでしょうか?

今回は山本太郎さんがいつから政治家になったのか、そのきっかけや経緯をまとめました。山本太郎さんが政界に進出した理由が気になるという人はぜひ以下の記事を参考にしてみてください。

3.11をきっかけに政治家へ

山本太郎さんは俳優として活躍していた最中、東日本大震災を経験しました。その3.11を境に原発に対する反対の意思、安倍政権に対する意見の数々が生まれてきました。俳優の仕事がなくなるとわかった上で、原発反対運動に参加することを決めました。

また、原発事故直後の政府の対応、「ただちに影響はない」と繰り返された言葉に大きな恐怖を感じた山本太郎さんは、同時に「自分が切り捨てられる側の人間」であることを痛感します。国は自分たちを守ってくれないのではないかと気づいたとき、山本太郎さんの中に

山本太郎
「このままにしてはいけない、誰も切り捨てられない社会にしなければ」

という意思が芽生え、政治家として生きていくことを選択したのだといいます。国の無策を目の当たりにしたとき、ついに我慢ができなくなったのでしょう。山本太郎さんの政治家としての人生が始まった瞬間であるといえます。

山本太郎「出る気なかった」

とはいえ、山本太郎さんは、もともと自分が先頭に立つという気はなく、「誰かがやればいい」「自分は流れに身を置くひとり」と考えていました。しかし、市民活動を行っていく中で、今後の日本を変えられるという確信が得られず、歯がゆさと限界を感じます。その結果、ついに2012年の衆議院議員選挙にて立候補を決めることとなりました。

山本太郎立候補

原発事故をきっかけに、政治がおかしくなっているのではないかと考え、目を開き始めた山本太郎さん。このままでは悪化してしまう、自分が出るしかないという結論を迎え、現在に至ります。非常に正義感に溢れた性格ですね。

山本太郎が属していた政党とは?

2012年12月に落選を受け、再度立候補した参議院議員選挙で当選を獲得した山本太郎さんは、無所属で活動した後、生活の党と合流します。そしてスタートしたのが「生活の党と山本太郎となかまたち」という、なんとも愉快な名前の政党です。

この党は、後に「自由党」へ改名、さらに2019年には「れいわ新選組」が設立されました。この時期に山本太郎さんが出した政見放送動画が盛り上がりを見せることとなります。常に話題に事欠かない存在であることがわかるでしょう。

山本太郎いずれ総理大臣に!

山本太郎さんは、政治家として活躍する中で「首相を目指す」という大きな夢を掲げています。独自路線に走り、熱弁を続けている姿には大きな勢力に決して屈することはしないという意思が感じ取れるのではないでしょうか。

バスローブ姿を見せた日には、「続きは総理大臣になってから」と、持ちネタであるメロリンキューをお預けにしています。今後も、山本太郎さんの活躍に目が離せないことでしょう。

山本太郎はいつから政治家?

ここまで山本太郎さんがいつから政治家として活動しているのか、きっかけとなった出来事や経緯に関して掘り下げてきました。

3.11で政府が見せた反応によって、山本太郎さんの中で大きな心境の変化が生まれたことがわかったでしょう。

今回の記事を参考に、今後の山本太郎さんにも注目してみてください。政治家を目指すきっかけを把握した上で注目することにより、また新たな視点で山本太郎さんの意見を理解することができるのではないでしょうか。

今回も最後までご覧いただき有難うございました。