岡田斗司夫の年収は?

岡田斗司夫ガイナックス時代の年収は?オタク業界からは凄い人?

“当時の岡田斗司夫さんはまだ若かったにもかかわらず、月収は最高で…”

岡田斗司夫さんはプロデューサーで評論家、文筆家といった様々な顔を持つ人物で、現在は株式会社オタキングの代表取締役、またはYouTubeとしても知られています。

1984年から1992年に掛けて、アニメファンの間で有名なあの『ガイナックス』の初代社長も務めました。それゆえ、オタク業界やファンからは「岡田斗司夫は凄い人」とも崇められてるそうです。

今回はそんな岡田斗司夫さんのガイナックス時代の年収と、現在の主な収入源、またはどのくらいの年収があるのかまとめてみました。

業界で”凄い人”の岡田斗司夫とは?

大阪生まれの岡田斗司夫さんは、サブカルやSF、映画などにも精通しており、その知識と才能がアニメ業界では「凄い人」と言われるほどの人物です。

そんな岡田斗司夫さんの経歴はどうなってるのでしょうか?

ダイコンフィルムからガイナックスへ

岡田斗司夫さんは、ファンの間ではいわゆる『ダイコンフィルム』で知られており、グッズやガレージキットの販売に自主制作のビデオ販売の経験を経て、後のビジネスに役立てる事となります。

当時からマニア向けの商品がビジネスになるという確信を得ていたのは凄いですね。

そんな岡田斗司夫さんは、ダイコンフィルム時代に制作した自主制作映画の脚本で一緒に仕事をした庵野秀明さんと、その後にガイナックスを設立しました。

岡田斗司夫さんは代表取締役や作品の企画、庵野秀明さんはアニメーターや監督として才能を開花。ガイナックスは業界内では一躍有名な会社になりました。

岡田斗司夫ガイナックス設立

最近破産宣告をして話題となったガイナックス。では設立者でもある岡田斗司夫さんは当時ガイナックスでどのくらいの作品を作り出し、どのくらいの実績を残したのでしょうか?

ガイナックスで時代の実績、年収は?

日本のアニメーション制作会社のひとつ。正称「株式会社ガイナックス」。本社所在地は東京都三鷹市。1984年設立。代表作は「ふしぎの海のナディア」「新世紀エヴァンゲリオン」など。日本動画協会正会員。

岡田斗司夫さんが代表を務めた期間は約8年ですが、在籍期間中だけでも『オネアミスの翼』や『トップをねらえ』『ふしぎの海のナディア』など現在も名作に挙げられる作品を手掛けてきた実績を残しています。

同時に、PC向けのゲームソフトでもプリンセスメーカーというヒット作を残しているのも凄いですね。

プリンセスメーカー

岡田斗司夫さんがこれまでに携わってきた作品は、往年のアニメファンの間で高く評価されているものばかりです。

他にも企画や脚本を手掛けた作品は多く、実写映画やオリジナルビデオ、ゲームの実績もあることから、当時の岡田斗司夫さんはまだ若かったにもかかわらず、月収は最高で250万円、年収に換算すると3,000万円もあったそうです。

ガイナックス退社後

岡田斗司夫さんはガイナックスを退社後に東大の非常勤講師を務め、不定期ながらもNHKの番組のレギュラーメンバーとしても出演しました。

2000年代に入ると食玩分野でも企画として活躍したり、大阪芸大に客員教授としても招かれたりと、活躍の場を広げていきます。

また、複数の著書を執筆してきた経歴もあります。

岡田斗司夫の『いつまでもデブと思うなよ』

現在はYouTubeとしても活躍

そして、60代も半ばに差し掛かった岡田斗司夫さんですが、現在はYouTubeを含めて多方面で精力的に活躍を続けております。

岡田斗司夫の現在

ガイナックスの設立者でもある岡田斗司夫さん。現在はネットに活動の場を移しており、動画配信などを含めて今までの経験を活かし収入を得ています。

ガイナックス時代よりかは収入は落ちたものの今でも年収は2,000万円以上はあるそうです。

動画の広告収入だけで2022年は1,000万円を超えているそうで、それ以外にも会社の経営者や大学の非常勤講師、客員教授と様々な収入源が彼にはあります。それを全て含めると2,000万はゆうに超えてるとも言われてます。

岡田斗司夫の年収と今後は?

今回はガイナックスで有名な岡田斗司夫さんの当時と現在の年収についてまとめました。

岡田斗司夫さんの現在の年収は2,000万円を超えているといわれています。

もうすぐ年金を受給し始める年齢ですが、年齢を感じさせない精力さと、自分で稼げる凄さには見習うべきところがありますよね。年齢もあって近年は自らアニメや映画制作はしていませんが、それでも情報の発信を続け、人々の関心を集めているのは流石ですね。

そんな岡田斗司夫さんの今後の活躍にも期待です!

今回も最後までご覧いただき有難うございました。