岡田斗司夫の生い立ち!母親は刺繍屋から教祖になった?

“つぶれかけていた宗教法人を買収して自らが…”

ユーチューブで何かと話題の岡田斗司夫さん。

どんな人なのでしょうか?

また、動画内では母親に関して面白可笑しく話してる内容が話題にもなりました。どのような母親だったのでしょうか?

今回はそんな岡田斗司夫さんの生い立ちから母親についてまとめてみました。

岡田斗司夫の生い立ち

岡田斗司夫さんはどんな人なのでしょう?

岡田斗司夫氏は、1958年(昭和33年)7月1日生まれで大阪府大阪市出身。株式会社オタキングや株式会社クラウドシティの代表取締役、日本のプロデューサーや評論家、文筆家や実業家またはyoutubeとしても活躍されてます。

ここでは、岡田斗司夫さんがどんな人なのか綴って行きます。

名前(斗司夫)の由来

岡田斗司夫は、1958年7月1日に大阪市住吉区で暮らす岡田家の長男として生まれた。お姉さんがいるので一男一女の第二子として誕生したことになります。

斗司夫の名前は、斗(闘い)を司(司る)夫(ますらお)の意味でつけられたようです。

現在でも、名前の意味を一生懸命考える人も多々いますが、中には好きな芸能人の名をつけるなどのケースもあるなど様々ですね。でも、昔はこのように子供の将来を考えて名をつけるケースが多かったのが特徴です。

岡田斗司夫の若い頃

幼少期の岡田斗司夫

幼少期より漢字が読めるなどと天才的なところがあり、そのため幼稚園に通うのは意味がないとの事で両親の同意を得て退園しました。また、それ以外にも、子供のときに受けた知能検査で知能指数がIQ148あることを知り、学校の宿題をやることは無意味だと感じ全く勉強をしなかったそう。

ですが、この頃の岡田家の家計はかなり苦しい状況に陥ってました。ごはんのおかずというと、きな粉、長屋には同じような家族が3家族暮らしていたようです。

長屋の生活って今では想像付かないですよね、これも昭和の時代を象徴するもので、現代ではありえない風景がそこには存在してたことでしょう。

中学になると…

中学生になると、友達から機材を借りて自主短編映画を撮影して学校で上映するようになる。このころはSF作家になることを夢見ていて知恵およびアイディアは大量に持っていたけれども、それを形にするのは別の才能であることを悟りました。

岡田斗司夫のおすすめ映画

東京進出のきっかけは?

大阪時代の岡田斗司夫は、SFや特撮・アニメ関連グッズの製造販売行う『ゼネラルプロダクツ』を開店。しかしそこに努めていた女性従業員と不倫関係になってしまい、その女性が岡田斗司夫との関係に悩み人に相談したことから2人の関係が発覚。当時は今ほど不倫に関して世間は寛大ではなく、周囲から軽蔑するなどのように非難されました。

岡田斗司夫の流出画像

これにより岡田斗司夫は大阪にいることができなくなったので、当時大阪での活動に限界を感じていた山賀博之氏とともに東京へ進出、1984年にはアニメ制作会社の『ガイナックス』を立ち上げて代表取締役に就任しました。

岡田斗司夫の妻、子供は?

岡田斗司夫は結婚していたので妻がいました。さらには子供もいます。妻になった人は中学時代の同級生、結婚は1981年で1989年には長女の娘さんが生まれました。現在娘さんは、30代前半だと思われます。

なお、1999年に離婚したようですが、離婚した理由は「子供が成長したので婚姻関係を続けるメリットが少なくなったため」だそうです…。元妻は、最終的には独立した個人としてそれぞれの人生を歩んで行きたい!と、これが離婚の原因なのかもしれませんね。ですが、現在でも岡田斗司夫と元妻の和美さんとは交流があるそうで家族で食事に出かけることもあるようです。

岡田斗司夫結婚は?

婚姻関係はなくなっても互いの信頼関係は継続している。婚姻届けなど紙切れだけの関係ではなく、真の信頼関係があるとかないとか…離婚しても昔は週に3回の割合で元妻の和美さんの家に訪れることもあったとか。ただ、子どもは親が離婚したことで色々な辛い思いもしてきたのかもしれません。

それを気遣ってたのかはわかりませんが、岡田斗司夫は自分たちの離婚の話を娘にせず、勝手に進めてしまいました。ですがそのことが後でバレて、娘から非難された事は岡田斗司夫の生い立ちエピソードの中でも有名な話です。

岡田斗司夫の両親は?

岡田斗司夫の父親は?

どのような教育をすると幼稚園の段階で漢字が読めたり知能検査で148の値になるのか気になる部分ですが、岡田斗司夫氏の父親はUFOや超能力などのミステリー的な要素を持つ話題がとても好きだったようです。幼少期の岡田斗司夫も父親が購入してきたUFOに関する書籍を愛読していたといいます。

岡田斗司夫のUFO論

先ほどご紹介したように岡田斗司夫は大阪府大阪市出身、当時は大阪万博が開催されていて世間的には注目を集めるエリアでした。万博に関する話題についても父と子はその話題で盛り上がっていたようで、当時の岡田斗司夫はお父さんと空想ともいえる乗り物の内燃機関についての話をしたりなど、不思議な親子の会話が繰り広げられていたようです。

岡田斗司夫の母親は?

岡田斗司夫の母親は、椎間板ヘルニアになっていたので足が不自由な状態でした。ですが家計を支える目的で母親も仕事をしなければならない状態だったそうです。そんな母親は足が悪いので在宅でできる内職、その中でも刺繍をするお仕事をしていました

この内職が後の岡田家を大きく変えるきっかけとなりました。

岡田詩集屋

岡田斗司夫が3年生になったころには、母親は刺繍屋の会社を立ち上げるほどの規模まで事業が拡大していて、有限会社岡田刺繍を設立。これにより、岡田斗司夫は裕福な家庭の息子とのイメージがついて、大好きなプラモデルを購入していた模型店にての買い物は、ツケが通用するほどのお得意さんになったとか。

岡田斗司夫の実家

事業に成功した母親は、儲けの多くを税金として払うことに納得がいかず、その節税対策として、つぶれかけていた宗教法人を買収して自らが教祖となる新興宗教を創設。

宗教法人の場合は税金が課税されないなどの理由で、このようなことをやってのけたのですが、普通はここまでやらないですよね…さすが岡田斗司夫の母親だけありますね笑

岡田斗司夫はどんな人でしたか?

今回はユーチューブなどで話題の岡田斗司夫についてまとめてみました。

岡田さんのチャンネルでは、視聴者からの悩み質問などに的をえた回答が話題となってます。気になる方は是非一度見てみてください。色々と参考になるかと思います。

今回も最後までご覧いただき有難うございました。