高倉麻子に代わり、2021年よりなでしこジャパン(女子サッカー日本代表)の監督を務めることとなった池田太。彼の契約期間は、今年(2024年)開催されるパリ五輪までの3年間だそうです。
かつて浦和レッズの選手として活躍していた彼ですが、現役時代の彼の成績について知らない人も多いはず・・・。また池田太が選手として活躍していた期間が、1993年~1996年と比較的短めだったのですが、これには何か理由があるのでしょうか?
そこで今回は、現在なでしこジャパンの監督を担う池田太の現役時代の成績および引退理由、また指導者へと進んだ理由について解説していこうと思います。
池田太は元浦和レッドダイヤモンズのDF
彼は、名門大学・青山学院大学を卒業後、Jリーグ開幕の年である1993年に浦和レッズダイヤモンズへ入団、主に左サイドバックを担当していました。
しかし1994年には、田口禎則(サンフレッチェ広島)や曹貴裁(柏レイソル)が加入してきたことにより、DF取りの争いが起きてしまいました。しかしこのような状況のなかでも、池田太はセカンドステージでレギュラーの座を獲得したんです!凄いですよね!!
その後、同ポジである曹貴裁や、ギド・ブッフバルトと一緒に浦和レッズの守備を固めていた姿を見て、彼は当時のシーズン内で最も成長した選手として、かなり高い評価が得られたそうです。
そんな池田太ですが、1996年に現役を引退し、浦和のユースチームのコーチや、トップチームのコーチ、そしてクラブチームのコーチ等、今後は指導者として活躍する道を選びました。
池田太の現役時代はどうだった?
なでしこジャパンの監督に任命された池田太ですが、自身の現役時代の成績はどうだったのでしょうか?
そこで彼の現役時代の成績について、以下にまとめてみました。
・1993年:リーグ戦の出場回数は18回(内得点1)
リーグ杯の出場回数は5回
・1994年:リーグ戦の出場回数は27回
リーグ杯の出場回数は2回
天皇杯の出場回数は1回
・1995年:リーグ戦の出場回数は8回
・1996年:リーグ戦の出場回数は0回
リーグ戦の出場回数でみると、プロのサッカー選手としては4シーズンで53回しか出場していなかったようです。この記録だけ見ると、
「他の選手よりぜんぜん出場していない」
「少なくない?」
と思いますよね。しかし、自分の成績について1番分かっているのは、池田太本人。このまま現役を続けていくかどうか、めちゃくちゃ悩んでいました。
なぜここまで悩んでいたのか、それは当時のサッカー業界には今のようにJ2リーグや海外へ行くという選択肢がなかったからです。
自分の成績に納得がいかないのであれば、引退の選択肢しかほぼありませんでした…
仲間からの声かけにより指導者の道へ
自分は引退するべきか、それともこのまま続けていくべきか、そう悩んでいる時に優しい言葉をかけてくれた仲間がいます。
その仲間は、同じく浦和レッズに所属しGWを務めていた横山謙三です。
横山謙三は池田太に、
「フトシ、お前は指導者に向いている。そちらで再スタートを切るのはどうだ?」
と背中を押してくれました。
当時、池田太はまだ26歳という若さでした。この若さから指導者という別の視点からサッカーをするのも良いかもしれない、と彼自身も思ったそうです。
横山謙三の言葉がなければ、もしかしたら池田太は指導者の道にも進んでいなかったと思いますし、なでしこジャパンの監督として任命もされていなかったでしょう。
そう考えると、仲間の言葉ってとても重要であり重みがあると思いませんか?
池田太の現役時代の成績には本人も納得がいかなかった
今回は、なでしこジャパンの監督・池田太の現役時代の成績についてと、なぜ彼の現役期間が短かったのかについて調査しました。
まとめると以下のようになります。
・池田太は1993年~1996年の3年間浦和レッズに所属
・現役時代の成績は本人も納得がいってなかった
・横山謙三の言葉で池田太は指導者の道へ進んだ
仲間の言葉ってものすごく大事だなと思いました。
2024年に開催されるオリンピックがとても楽しみになってきましたね!期待していましょう!
今回も最後までご覧いただきありがとうございました。