デヴィ夫人はなに人なのか

デヴィ夫人ってなに人?国籍は?何が凄いの?

豪華な衣装を美しく着こなし、元大統領の夫人として堂々とテレビに出演されているデヴィ夫人。しかし最近ではバラエティ番組にも出演され、ホントに元大統領の夫人なのかと疑いたくなるほど、体を張る姿が印象的です。

この姿が原因で、若者からは芸人なのかと疑われ、彼女の本来の姿を知らない人が増えてきています。そもそもデヴィ夫人がなに人なのか、知らない人もいるようで・・・。

そこで今回は、デヴィ夫人の国籍や何が凄いのかをまとめてみました!

デヴィ夫人に対するネットからの疑問の声

バラエティ番組に出演される機会が増え、視聴者からは「そもそもデヴィ夫人ってナニモノなのか?」と疑問を持つ人が増えてきています。

デヴィ夫人がナニモノか分からない

つなぎ姿のデヴィ夫人

たしかに最近のデヴィ夫人は、コスプレ姿を披露したりつなぎ姿で登場したりと、側から見れば

「え?お笑いの人?」
「夫人って付くけどその様子が全くない」

と思いますよね。

でも本当は元大統領の夫人であり、世界的にも有名な方なんです。

そんなデヴィ夫人のプロフィールについて紹介していきたいと思います。

デヴィ夫人のプロフィール

・名前:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
・日本名:根本 七保子(ねもと なおこ)
・生年月日:1940年2月6日
・身長:159cm
・血液型:A型

幼少期に体験した恐怖

幼少期に初めて感じた恐怖は、「B29」だと話すデヴィ夫人。空襲警報が鳴る度母親に手を取られながら防空壕に避難し、自分の身を守ることに必死であったことは今でも鮮明に覚えているそうです。

デヴィ夫人が恐怖と感じた空襲

太平洋戦争中、デヴィ夫人は福島県に疎開していましたが、現地は農家ではなかったため、とても裕福とは言えず、まいにち過酷な生活に耐えていました。また疎開先から東京へ戻ってみると辺りは焼け野原、当然食べ物もなかったので、デヴィ夫人が足の悪い母親に変わって農村まで買い出しに行っていたそうです。この頃から既に、母親と弟は自分が守らなければいけないんだと、強い責任感を持っていたようですね。

テレビに出演しているデヴィ夫人の姿を見て、「高価な宝石を付けてて羨ましい」「人生勝ち組だね」と言う人は多いですよね。しかし彼女は、まったくそんなことはないと断言し、こう述べていました。

デヴィ夫人の幼少期は?

私は人の3倍勉強し、人の3倍働き、また人の3倍努力し、睡眠は人の3分の1でしたから。今でもそうですよ。私が自分をラッキーと思うのは、幼少期に体験した戦争と貧しさが、どんな逆境でも生き抜く力を与えてくれたこと。満点の星空を見上げながら、”いつか世界に飛び出して、星のようにきらめく存在になりたいな”と夢を抱いていましたわ。

空襲での体験から、ここまで思えるのはデヴィ夫人だけではないでしょうか?

倍率150倍の千代田生命に入社

中学を卒業した後、デヴィ夫人は東京都に位置する定時制高校に進学すると同時に、倍率150倍と言われる千代田生命保険(現在:ジブラルタ生命保険)に入社しました。

倍率150倍のジブラルタ生命保険

しかし彼女の家庭は貧しかったので、昼休みや休日は喫茶店などでアルバイトをして、生計を維持していたそうです。幼少期から持った責任感が、ここでも表れていますね。

その後、知り合いの紹介で赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」に連れて行ってもらったデヴィ夫人。ここは日本で随一の社交場とも言われ、海外のスターにも知られているVIPクラブです。

コパカバーナで働くデヴィ夫人

何度か通うようになったデヴィ夫人はお店側から大変気に入られ、アルバイトとして働くようになったと同時に彼女の英語力が磨かれていきました。おかげさまでスカルノ大統領と出会ったときに、自分が英語を話せて良かったと感じたようです。働きながらも英語力を身につけたとは、どれだけ彼女が努力していたのかが分かりますね。

スカルノ大統領との馴れ初めは?

デヴィ夫人は、かつて初代インドネシア大統領であったスカルノ元大統領の第3夫人です。インドネシアのイスラム教徒では、一夫多妻制が認められているため、「第3夫人」と呼ばれています。

スカルノ大統領とデヴィ夫人

スカルノ大統領との馴れ初めは、かつてデヴィ夫人が高級クラブ「コパカバーナ」で働いていた時、当時インドネシアと巨額のビジネス関係にあった貿易会社のメンバーが、彼女の美貌に見初めたことがきっかけです。

若い頃のデヴィ夫人の美貌がヤバい

そして彼女が19歳の時、インドネシアの開発援助のためにスカルノ大統領の元へ送り込まれ、数年間は大統領の愛人の1人となっていましたが、デヴィ夫人の真面目な性格が認められ、正式に結婚を発表。なんと歳の差38歳というかなり離れた歳の差婚として反響を呼びました。

デヴィ夫人の国籍は?

ちなみに当時はまだ日本国籍を捨ててはいかなったそうですが、22歳の時に母親と弟を亡くしたことを機に、国籍をインドネシアに変えたそうです。

結婚は1959年、19歳の時にイスラム教にのっとってしたんですけど、そのころはまだ母と弟が生きていたので、日本国籍を捨てないでいたんです。でも、母と弟が22の時に亡くなりまして、もう日本国民でいる理由はないわ、神様の啓示だわ、自由の身になって大統領だけに尽くしなさい、って言われたと思って、インドネシア国籍に変えたんです。その時に「根本七保子」から「ラトナ・サヴィ・デヴィ(宝石の聖なる女神)」という名前をいただきました。インドのサンスクリット語なんですけどね。

つまり、実質デヴィ夫人の国籍は「インドネシア」ということになりますね。

若さの秘訣も努力だと話すデヴィ夫人

デヴィ夫人は現在83歳。とてもその年齢に見えないほど美貌を保っていますよね。

だから「どうやって若さを保っているんですか?」「美の秘訣はなんですか?」と聞かれることがあるそうです。この質問に対して彼女は、

体型維持については努力。また外食が多いので、家での食事は”まごわやさしい(豆・ごま・わかめ・野菜・魚・しいたけ・イモ)”を中心に、糖質はなるべくカットしています。またコルセットでウエストをキュッと締め、胸を高く。カラダを甘やかすニットなんて絶対に着ません。あと長年ダンスをしています。あとはスキー、スキューバダイビング。

と答えてくれました。美を保ちたいと思うことは誰でもできますが、デヴィ夫人はしっかり行動に移されていることが分かりますよね。

デヴィ夫人は努力しているから美しい

デヴィ夫人の美の秘訣は努力

だから彼女はいくつになっても、綺麗な女性を保ち続けられているのでしょう。

現在のデヴィ夫人は?

デヴィ夫人は現在NPO法人アースエイドソサエティの総裁であり、また株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役でもあります。

2019年7月からはYouTuberとしても活動しており、芸能人とのコラボ動画や、彼女の幼少期を紹介する動画などが投稿されています。

今後も楽しい動画が投稿されるようですね。楽しみに待っていましょう。

デヴィ夫人の国籍は現在はインドネシア人である

今回は、スカルノ元大統領の夫人であるデヴィ夫人の国籍についてと彼女の何が凄いのか?をまとめてみました。

・ネットではお笑い芸人なの?とのコメントも

・デヴィ夫人の幼少期は貧しかった

・『コパカパーナ』でスカルノ大統領と出会い、愛人から結婚して夫人へ

・母親と弟を亡くしたことを機に国籍を日本からインドネシアへ

・現在はNPO法人総裁、タレント、YouTuberとしても活動している

元々は日本国籍であったが途中からインドネシアへ移籍したんですね。

現在はバラエティ番組にも出演され、大活躍されているデヴィ夫人。今後、どのような姿を私たちに見せてくれるのでしょうか楽しみですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。