河野太郎の父親

自民党総裁も務めた河野太郎の父・河野洋平の現在は?

“政界を引退した河野洋平さんですが、現在は…”

美人な奥さんを持ち、Twitterではその面白さで世間を賑わせていた河野太郎さんですが、父親が凄い人であったことを知っているでしょうか。また、父親にまつわるエピソードとして、河野太郎さんの印象が大きく変わったものもあります。気になる人も多いことでしょう。

この記事では河野太郎さんの父親に関する情報を深掘りしていきます。父親の経歴や現在を知ることで、より一層河野太郎さんに対する理解が深まるのではないでしょうか。それでは、以下から見ていきましょう。

河野太郎の父はどんな人?

河野太郎さんの父親である河野洋平さんは、凄い経歴を持っているといわれています。

河野洋平

河野洋平

生年月日:1937年1月15日

出生地:神奈川県平塚市

出身校:早稲田大学政治経済学部経済学科

前職:丸紅飯田社員、ニチリョウ代表取締役社長、日本陸上競技連盟会長

所属政党:自由民主党(中曽根派)→新自由クラブ→自由民主党(宮澤派→麻生派)

親族:祖父・河野治平、父・河野一郎、叔父・河野謙三、長男・河野太郎、従兄・田川誠一

まず、1967年に衆議院総選挙にて初当選を果たした後、文武政務次官に就任、自民党を離脱すると自ら発足した新自由クラブの党首を務めました。さらに立ち上げ時には、オールナイトニッポンのパーソナルにも抜擢されています。

1985年からは、科学技術庁長官や内閣官房長官、自民党総裁、外務大臣、衆議院議長など数々の重役をこなしてきました。

早稲田大学政治経済学部経済学科に所属していたり、スタンフォード大学に留学していたこともあり、学業面でも非常に優れていたことがわかります。

競走馬のオーナーも経験

さらに、河野洋平さんは競走馬のオーナーを務めていたことがありました。

父親から引き継いだ那須牧場からは、1996年菊花賞のナスノコトブキ、1971年桜花賞のナスノカオリ、1973年優駿雌馬のナスノチグサなどといった名馬を輩出しました。

その後、那須牧場は次男へと引き継がれ、河野洋平さんは日本軽種馬協会の会長を務めることとなりました。

そんな活躍を重ねているように見える河野洋平さんですが、実はピンチを迎えていた時期もありました。

C型肺炎に感染してしまう

1997年、異常な疲れと肝機能障害を指摘されていた河野洋平さんの身体に異変が見られます。

肝硬変となるまでに進んだ病症は、C型肺炎というものでした。ワクチンがなく、命を落とす危険性があるとされています。インターフェロンの治療を受けるものの良くなることはなく、黄疸や意識障害などが目立ち始めます。

しかし、ここで息子の河野太郎さんが動きました。

河野洋平・河野太郎

意見の擦れ違いにより口論まで発展してしまいますが、2002年河野太郎さんの肝臓を移植することとなります。河野太郎さんが普段から政治家として厳しい表情ばかり見せる姿とは裏腹に、非常に親思いであることが伺えますね。

河野洋平の現在とは

肝臓を移植すると、約2年ほどで元の大きさに戻ったという河野洋平さんは、現在も元気に活躍を重ねています。

河野洋平と日本端子

2021年には、河野太郎さんの支持拡大のために協力を仰げないかと、元参議院会長の青木幹雄さんの事務所を訪れました。父親として、いてもたってもいられないのではないかと囁かれていたことでしょう。

政界を引退した河野洋平さんですが、現在は自由民主党にて特別講座を開いたり、東京マラソン財団の最高顧問を務めたりと、より一層精力的に活動しています。

ただ、河野太郎さんに対して過保護とされる一面も目立ちますが、あらゆる業界のリーダーとしての活躍は衰えることがないといえるでしょう。

河野太郎の父親は凄い人だった

ここまで、河野太郎さんのについて紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。河野洋平さんの凄さがよくわかったことでしょう。さらに、河野太郎さんの新たな魅力も知ることができたのではないでしょうか?

河野洋平の凄さ

今後も、河野太郎さんはもちろん、洋平さんも数々の業界の先頭に立って活躍を見せていくと予想されます。ぜひこの記事を参考に、2人に対する理解を深めてみてください。これからの活動に目が離せないことでしょう。

今回も最後までご覧いただき有難うございました。