秋元康は、おニャン子クラブ、AKB48を代表とする48グループ、そして坂道グループを生み出してきた国民的音楽プロデューサーです。彼によって生まれてきた女性アイドルグループのほとんどは、今も変わらず活動し続けています。
でも、どうして秋元康が生み出したアイドルたちはみんな人気なのでしょうか?
それには、’’音楽プロデューサー秋元康’’としてのこだわりがあったようです。
そこで今回は、秋元康が生んだアイドルたちがなぜここまで人気を集めているのか?その秘密について調査しました。
秋元康はなぜAKB48を作ったのか?
秋元康は、AKB48の生みの親として有名ですが、一体なにをきっかけに彼はAKB48を造り出す経緯に至ったのでしょうか?
どうやら秋元康のなかで、以下のような気持ちがあったと言います。
どのくらいの人が実際に見ているか分からない視聴率を追う’’テレビ業界’’に対して、観客が目に見える劇団やロックバンドに憧れていた僕は、『目に見えることをやりたい』と思ったのがAKBを作ったきっかけです。
この思いから、渋谷や青山、さらには原宿で劇団を作りたいと思いはじめ、がむしゃらに劇場を探していました。しかし、当時は彼が気に入る劇場を見つけることが出来ず、周りから「秋元さん、あそこの劇場いいっすよ」とおすすめの劇場を紹介されても、「世の中そんなにうまくいきませんよ」と補足され、秋元康が新しい劇団を作ることに対して、誰も賛成してくれなかったと話していました。
ですが、こだわり続けたも秋元康は、「周りから反対されればされるほど、チャンスである」と、今の状況をチャンスだと捉えひたすら劇団づくりに励んでいたようです。
きっと彼は、めちゃくちゃ真面目な性格なんだと思います。
そして周りから反対されつつも、『絶対に劇団を作ってやる』という彼の強いこだわりが叶い、2005年に大人気アイドルグループ『AKB48グループ』が作られました。
まさか劇団を作るなんて誰も想像していなかったので、当時、彼のことを反対していた人たちはさぞかし驚いたことでしょう。
秋元康は前田敦子をなぜセンターに?
’’AKB48の顔’’といえば、前田敦子をイメージする人も少なくないでしょう。彼女はAKB48のセンターとして、大活躍していました。しかし、当時の彼女は、AKB48のセンターになることに対してものすごく反対しており、泣きながら秋元康に断っていたんだそうです。
14歳の前田敦子に「君がAKB48のセンターで歌うんだよ」と言ったら、彼女は大声を上げて泣きながら「嫌だ」と言った。
ではなぜ、秋元康は彼女をセンターにしたのでしょうか?
それには、秋元康なりのこだわりがありました。
ほかの子たちはみんなセンターになりたいし、ソロ曲がほしいんです。でも僕のプロデュースで、その子がセンターに立つかソロ・デビューして“にんまり”しちゃうと、そこからはもうドラマが生まれないんです。だから前田敦子しかいない、というのがありました。
逆に、センターにいちばん向いてないなと思ったから選びましたね。
と、あえて前田敦子をセンターにしたと言います。
センターに相応しい人物をセンターにするのではなく、逆にセンターから程遠い人物をセンターにすることで、意外性もありますし、他のアイドルにはない差別化も図れる。そこからドラマが生まれる。
このような考えができるのも、数々のアイドルグループをヒットさせてきた秋元康のこだわりがあったからこそだと私は思います。
秋元康が生んだアイドルがなぜ人気なのか?
今回は、秋元康が生み出したアイドルがなぜ人気なのか?彼の秘密について解説させていただきました。まとめると以下のようになります。
・秋元康は周りに反対されながらもAKB48劇場を創り上げた
・秋元康はあえてセンターに向いていない前田敦子をセンターにした
・秋元康がなぜアイドルをヒットさせれたのかは”こだわり”があったから
’’音楽プロデューサー秋元康’’としてのこだわりがあったから、AKB48は多くの人から人気を集めるアイドルになったんですね。生みの親である秋元康が1番の理解者であるから、今もなお、人気度が上がっているんだと思います。さすが秋元康です。
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